旧暦新年の空

今日は旧暦(太陰暦)での元日。「旧暦カレンダー」も1月1日を指しています。改めまして、新年あけましておめでとうございます。^_^

先日の「節分」は冬と春の分け目にあたり、翌日の「立春」が春の始まり、つまり新しい年の始まりと言うことです。 ただ、これらは太陽の運行を基準に決められていますから、月の運行によって決められた旧暦元日と「立春」は必ずしも一致しません。

とは言っても、大体この「立春」前後に旧暦元日が来ますので 、新年の始まりとしてはこちらの方が気持ちが良いですね。実際、中国や台湾では旧暦に従い、今が正月の休みに入っています。

さて、これから一年間、この旧暦カレンダーとともに過ごしてみて、旧暦の良さを実感できるかどうか試してみたいと思います。

エコノミック・ヒットマン

何ともベタで可笑しげな名前だが、その実体は紛れもなくヒットマン(=殺し屋)だ。いや、殺さずに隷属させて搾取をし続けるその手口は、単なる殺し屋より一層卑劣だと言うべきだろう。

2004年にアメリカで出版されて大反響を呼び、昨年12月に日本語訳された「エコノミック・ヒットマン」は、原題を「Confessions of an Economic Hit Man(エコノミック・ヒットマンの告白)」といい、実際にエコノミック・ヒットマン(以下EHM)として活動していたジョン・パーキンスという人物の、自らの人生を語ることでアメリカの暗黒部を告発した本である。

EHMとは何かをその序文から引用すると、

エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐へと注ぎ込む。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。彼らは帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化が進む現代では、その存在は質量ともに驚くべき次元に到達している。
かつて私は、そうしたEHMのひとりだった。

さらに、

・・・私の仕事には主要な目的が二つある・・・。第一に、巨額の国際融資の必要性を裏付け、大規模な土木工事や建設工事のプロジェクトを通じてメイン社ならびに他のアメリカ企業に資金を環流させること。第二に、融資先の国々を破綻させて、永遠に債務者のいいなりにならざるをえない状況に追い込み、軍事基地の設置や国連での投票や、石油をはじめとする天然資源の獲得などにおいて、有利な取引をとりつけることだ。

簡単に言ってしまえば、かつての帝国は武力などによって露骨に植民地を支配していたのだが、多くの植民地が独立を果たし、世界の目も厳しくなってもはや単純な武力支配では収奪が難しくなった今日では、暴力や収奪の事実が表面化しないような方法を編み出したということである。

とは言っても、EHMたちが失敗した場合には、つまりターゲット国の権力者を抱き込めなかった場合、その権力者を暗殺する「ジャッカル」たちが放たれ、それにも失敗した場合には、従来の方法、つまり武力で破壊して支配権を握るという手順は常に適用されている。

本書では著者がEHMとして活動した、インドネシア、パナマ、サウジアラビア、イラン、コロンビア、エクアドル、イラクについて、時を追って具体的に語っている。もちろん、事情で名前を明かせないごく僅かの人物を除いてすべて実名だ。まだ記憶にも新しい、イラク戦争でお馴染みになった面々もぞろぞろと登場する。

驚くべきは、その狡猾な手段もさることながら、それがある一部の集団だけで行われているものではなく、米国という国家全体が、この目的を遂行するためのシステムとして機能しているという事実である。金融、メディア、行政、立法、司法、軍事などすべての権力がグルなんである。権力を支持する米国民も、メディアによって騙されコントロールされた状態にある。なんと言うことだろう・・・

著者は自分の仕事に何度も悩み、事実を公表すべきではないかと何度も筆をとったが、 その度に説得されたり脅されたりして断念してきた。しかし9.11を見て、最終的に出版の決断をしたという。その思いは世の中に通じるだろうか。

トンバパスタその2

昨日は外食ランチになったので、再び小僧となってトロンバへ。昨日の日替わりパスタランチは、「小柱とベーコンとミズナのオイル仕立て」。

もうビックリするくらいに私の好みにピッタリ。あのラグーとほぼ一緒の味、盛りつけだ。細くてぷりぷりのあつあつパスタをソースにたっぷりつけて頬張ると、マジでしあわせ〜って感じる数少ないパスタ。ランチにはバケット(フランスパン)も付いてるので、残ったソースもさらに楽しめる。

さて、この店にはまだ魅力的なランチがいろいろ。
目の前の席では「やわらかチキンのチーズオムライス」を食べてる女性が。おー、なかなか美味しそうじゃないか。「特製96時間煮込みカレーライス」も魅力的だが、ここは何と言っても「スズキのアンチョビバターソテープレートランチ」を食してみたいところだ。次はこれに決まり!

トンバメニュー

最後に一つだけ不満を。店内が禁煙じゃないので、ボックス席のスペースがたばこ臭いのだ。この日はそれほど臭わなかったのでボックス席に座ったが、しばらくすると隣の女性が吸いだした・・・。 これからはやっぱりカウンターで食べることにしよう。

「私は神になるのだ」

細菌のゲノム合成に成功:2008年中に合成生命も?

この記事の写真の目は、そう語っているように思えてならない。
神はすべての生命をお創りになった。そして私もいま、新しい生命を創った。私は神に近づいたのだと。

科学者の興味、欲望は尽きない。それが将来どんなことを引き起こす可能性があるのかが分かっていても、例えそれが恐ろしく悲惨な事柄であっても、それとは別に「人類の利益になる」という使い道がありさえすれば、それを口実として突き進んでいく。自分の欲望を満たすために。

そして、別の人間が自分の欲望を満たすために、その技術を使うことになる。それが使い道によって巨大な力を生み、巨万の富を生むものならなおさらである。原爆もその一つだ。

私はキリスト教などでいう、いわゆる万物の創造主としての「神(唯一神)」を信仰していないが、彼らの立場に立って神の存在を仮定したとしよう。彼らと神との間には、決定的な違いがある。神は自らの欲望のために万物を創ったわけではなかろう。一方人間の作るものは、すべて自らの何らかの欲望を満たすための結果だ。

そして世界は一部の人間の欲望に飲み込まれていく。恐ろしいことだ。

月のカレンダー

私の部屋の壁に、毎日の月の満ち欠けが載っている年間カレンダーがある。浜松出身の若手デザイナが作った、ステキなデザインのポスターカレンダーだ。これを見れば大まかな潮回りが瞬時に分かるというわけだ。カッコいい上に便利じゃないか。

とここで、カレンダーを眺めながら、ふと気になった。月の満ち欠けの周期は大体1ヶ月なのだが、いわゆる暦の月の日数とはビミョーに異なるので、満ち欠けの周期はだんだんとずれていくことになる。なんかあまり気持ち良くない。

ここで思い出した。明治になって暦を西洋に合わせるまでは、日本では月の運行をもとにした太陰暦を使っていたはずだ。それによれば、新月の日を一日(ついたち)と定めているので、(月の公転周期が約29.5日なので)一月(ひとつき)は必ず29日か30日のどちらかになり、15日の夜(十五夜)は必ず満月となる。

ところがこれでは12ヶ月で約354日となり、11日ほど足りない。これを補正するために、何年かに一度「閏月(うるうづき)」なるものを挿入する。つまりその年は13ヶ月あることになる。

さらに、一年の四季を正確に把握するためには、太陽の運行を基準にしなければならない。冬至を基準に一年を24分割したものを「二十四節気」といい、暦に入れた。この月の運行(太陰暦)と太陽の運行(太陽暦)を合わせたものを、「太陰太陽暦」というらしい。また天保の時代に作られたことで「天保暦」ともいうらしい。

と、ここまでが旧暦についてのあらましだが、実は以前より私が気になっていたのは、この旧暦の方がより自然を感じるのに都合がよいと言われていることだった。本当だろうか?何となく分かるような気もするが、それを実感したことはない。「春分、夏至、秋分、冬至」などで四季の変わり目を感じることはもちろんあるが、少なくとも太陰暦による恩恵を実感したことがない。おそらくの予想としては、今日が何日であるかで潮回りが自明になることであろう。この恩恵を是非実感してみたい。

ということで、旧暦カレンダーを作ってみた。このブログのサイドバーに、今日の旧暦を載せてみた。さらに、暦の中での今日の位置を知るために、年間カレンダーも用意した。トップのメニューから「カレンダー」で見られる。ちなみに今日(1月27日)は旧暦ではまだ去年(平成19年)なので分からないが、今日の日付がグレーのバックで表示されるようになる。興味のある方は、このカレンダーページをブックマークしてご利用いただきたい。(ブックマークするときは、URLのお尻に付いた「#」以下を削除のこと。)

さて、はたして旧暦の恩恵は実感できるだろうか?

TROMBAパスタ

ちょっと前まで、私は「パスタ小僧」だった。おっと、五十路を迎えるようなオヤジが小僧とは何事だとのツッコミはご遠慮いただきたい。あくまでも「小僧=フリーク」的なニュアンスである。

以前は美味しいパスタ(ほぼ=スパゲッティ)を求めて、ランチタイムにいろんな店を回って食べ歩いていた。別にグルメを気取るつもりもなく、ただ自分の好みに合ったパスタを探していた。そして新しい味を探しながらも、一番気に入った店によく通った。

その店とは「ラグー」という上新屋町にあった店。「あった」と書いたのは、今はもう無いからだ。バリラのNo.3スパゲッティーニ を程よく茹で上げ、独自のソースをベースに様々な味付けを施し、フレンチを思わせるような繊細な盛り付けで出される週替わりパスタランチは、外食ランチの毎週の楽しみだった。

何年通っただろうか、ある日店を閉めるとの話を聞いた。とても残念だった。閉店直前に家族で食べに行ったときに聞いた話では、その後駅前の地ビールレストラン「マイン・シュロス」のレストランに勤務するとのことだった。

それ以来、だんだんと外でパスタを食べなくなってしまった。「ラグー」の近くにあった「ラ・グラッツィア」も結構好きでたまに行ってたのだが、この店も去年閉店した。で、ますます食べなくなってしまった。

そして、最近では唯一外食でパスタを食べていたところが、 名鉄ホテル北側の「フィオーレ」。ここもオリジナリティ溢れる手作りの味。ただ、ラグーとはだいぶ違ったテイストのパスタだった。好みではあったが、何週間に一遍くらいの頻度だった。

先週のとある日のランチタイム、「フィオーレ」にいつものようにチャリで行ったら、店の前に張り紙が。なになに、イタリアで研修中に付き○×日までお休み、とな。う〜ん、どうしようかなぁ〜、とチャリにまたがって方向を変えると、目の前に以前から気になっていていつかは行ってみようと思っていた店が。

というわけでその日のランチは「トロンバ」に決定。店の前の街路樹にチャリを縛り付けて店に入ると、あらら混んでる。私は待ちの2番目。しかもその後ぞろぞろお客さんが来て、あっという間に階段の途中まで行列が。あいや、この店人気あんだな〜 と感心する。でも結構席数もあり、お客さんも回転していく。私は一人だったからカウンターへ。

注文は日替わりパスタランチ大盛り。大盛りが無料というのがメチャ嬉しい。パスタにスープ、ちょっとしたサラダ、フランスパン2切れが付いて、850円なり。これに+100円で食後の紅茶を付けた。950円なり。

カウンターから調理の様子が目前に見えるので、それを眺めながら待つ。スタッフはみんな若い子ばかりだが、気持ちよくテキパキと動いている。礼儀も正しく、何より笑顔を忘れない。とても気持ちが良い。

作り方を見ていると、何だかラグーと似ていると感じた。使っている調理器具もほぼ同じだし、手順や段取りがそっくりなのだ。ふ〜ん、面白いなぁと思いながら見ていた。

そして出されたパスタを食べてビックリ。パスタの太さ、ゆで加減、ソースの風味から盛り付けまで、 ラグーに本当によく似てるのだ。特にパスタを頬張って歯でかんだときの感触がたまらない。そう、あれだよ、あれ。ソースとの絡み方も同じ。なんか感動してしまった。ああ、嬉しい・・・また来なきゃ。

で、今日が来店3回目である。今日のメニュー(写真)は「ツナと根菜の和風ペペロンチーノ」。これには驚いた。ツナと玉葱、三つ葉はソースに混ぜ、具は蓮根、牛蒡、蒟蒻である。和風の風味付けは味噌と醤油をアレンジしたもの。それに胡麻と刻み海苔のトッピング。もちろんピリ辛のペペロンチーノ仕上げ。初めて食べる味だ。この何が出るか分からないところが日替わりの楽しさだよね。

今日気が付いたのだが、使ってるパスタはディ・チェコのNo.10フェデリーニ。しかしラグーで使っていたバリラとそっくりだった。同じ1.4mmでゆで加減も同じなら、全く同じになるのだろうか。

まあいいや、とにかくまたお気に入りのパスタを見つけられた。これでまた外食パスタの楽しみが出来たな。もう一度「パスタ小僧」になるとするか・・・

バースデイケーキ

みなさま、新年あけましておめでとうございます。m(_._)m

私は本日満50才となり、五十路元年を迎えることとなった。それを祝して娘が誕生日ケーキを作ってくれた。チョコチップで「ひで」と書かれているのがお分かりだろうか・・・。「お」が入らなかったらしい。

しかし、そんな小さな事はどうでもよろしい。素直に嬉しい。ありがとう。その温かい気持ちと努力は、「 お小遣いアップ」とか「お洋服」とか「wiiソフト」とか、そういったものとなって必ずや報われるであろう。実現するかどうかは神のみぞ知るだが、期待はしてよいぞ。

我が家に幸あれ。

年末ドッグ

♪お正月♪が来る時期になってしまった。

いやいや、前回はまだ11月半ばというのにクリスマス気分に浸っていたら、いつの間にか本当のクリスマスも過ぎちゃって今年もあと2日。 早すぎますって。^^;

年をとったせいなのか、相変わらずいろんな事に手を出す日々を送っているからなのか、とにかく1年が早い。 このペースで行くと、還暦(あと10年)なんてあっという間という気がする。こ、これでいいのか?;_;

昔の人は現代人より短命で、寿命がせいぜい50年だったなどと聞く。昔ならオレはもうそろそろ死ぬころか?

しかし、彼らの1年はさぞや長かったろうなぁと思う。そういう意味では、昔の人の方が「人生が長かった」と言えるかもしれない。

もちろん長けりゃいいってもんでもない。やることが無くて暇をもてあましているだけの50年は、「長い苦痛」だけなのかもしれない。そうじゃないかもしれない。

結局よく分からないのだが、思うに、どの時代がいいとかじゃなくて、いつの時代でもいい人生を送るやつと、そうでもないやつがいるってことじゃないだろか。要は「いい人生を送ったもの勝ち」である。おお、なんか悟ったような気がする。

と、いいトシこいて年の瀬にこんなアホなこと考えてるオレは、暇をもてあましてる側かもしれない。来年の年末にはもうちょっとマシなことを考えよう。

みなさん、良いお年を。

(筆者注)写真は本文とはなんらの関係もありません。

冬の蛍ツリー

昨日、今年も浜松駅前遠鉄百貨店とフォルテビルの間に「冬の蛍フェスタ」の灯りがともった。フェスタのメインとなるツリーはバックの夜空に映え、とてもきれいだ。道行く人はみなケータイやデジカメで写真を撮っている。これで街は一気にクリスマス気分突入だ。

私はというと、これまた去年に引き続き、高校の同級生達と「飲み屋〜カラオケ」コース。串揚げの店からカラオケボックスへ、さらにカラオケスナックへと、飲むわ歌うわの計7時間。今回のカラオケお題は「阿久悠」。歌った阿久悠の歌、34曲。みなさん、ご立派。^^;

—- 追記(2007.11.30)
歌った順の全曲リストです。全37曲でした。よくもまあ・・・

京都から博多まで 1972年 藤圭子
また逢う日まで 1971年 尾崎紀世彦
さよならをもう一度 1971年 尾崎紀世彦
世迷言 1978年 日吉ミミ
みずいろの手紙 1973年 あべ静江
時の過ぎゆくままに 1975年 沢田研二
北の宿から 1975年 都はるみ
目覚めた時には晴れていた 1976年 伝書鳩
たそがれマイラブ 1978年 大橋純子
10 カサブランカ・ダンティー 1979年 沢田研二
11 舟歌 1979年 八代亜紀
12 時代おくれ 1986年 河島英五
13 恋唄 1972年 内山田洋とクール・ファイブ
14 勝手にしやがれ 1977年 沢田研二
15 五番街のマリーへ 1973年 ペドロ&カプリシャス
16 津軽海峡・冬景色 1976年 石川さゆり
17 居酒屋 1982年 木の実ナナ、五木ひろし
18 あの鐘を鳴らすのはあなた 1972年 和田アキ子
19 ロマンス 1975年 岩崎宏美
20 青春時代 1976年 森田公一とトップギャラン
21 絹の靴下 1973年 夏木マリ
22 宇宙船艦ヤマト 1974年 ささきいさお、ロイヤル・ナッツ
23 白いサンゴ礁 1969年 ズーニーヴー
24 ヤマトより愛をこめて 1978年 沢田研二
25 白い蝶のサンバ 1970年 森山加代子
26 学園天国 1989年 小泉今日子
27 街の灯り 1973年 堺正章
28 ジョニーへの伝言 1973年 ペドロ&カプリシャス
29 渚のシンドバッド 1977年 ピンク・レディー
30 気絶するほど悩ましい 1977年 Char
31 もしもピアノが弾けたなら 1981年 西田敏行
32 雨の慕情 1980年 八代亜紀
33 UFO 1977年 ピンク・レディー
34 笑って許して 1970年 和田アキ子
35 思秋期 1977年 岩崎宏美
36 ダーリング 1978年 沢田研二
37 コーヒーショップで 1973年 あべ静江

HH擦り傷

朝10時出港。今日は出だしからやっちまった。マリーナの桟橋を離れるとき舫杭に擦りそうになったのだが、ガンネルのゴムに当たるだろうと安易に考えていたら、甘かった。下の方で張り出していた蛎殻に船体をガリガリとやってしまった。えぐれた傷はそれほど深くはなかったが、写真のようにしっかりと船体に残り、サメのデカールと「m」の一部を切り裂いてくれた。ううう、これまで大きなキズはなかったのに・・・T_T いきなりのミスで凹むが、天気も最高に良いし、昨日買った2個のルアーを試せるし、と気を取り直す。

が、災難はさらに降りかかる。釣り初めてしばらくすると、2本持っていたタックルのうち、小さめの0.8号のファイアーラインの方の巻きの真ん中当たりにコブができてしまった。ラインにかなりヨレがたまっていたようだ。ルアーに近い方ならルアーをたぐり寄せてじっくり解くことも出来るが、ルアーまではかなり長く、たぐり寄せるのは無理。かといってここで切ってしまったら使い物にならない。そうしている間にもフネは流される。仕方がないから巻き上げてしまって、このタックルは今日は諦めることにした。

そしてその後すぐ、さらに災難は降りかかる。持ち替えたタックルで投げていたら、突然ブツっという音と共にルアーが飛んでいった。ラインは出ていかない。げ!まずい!と思ったときには時すでに遅し。ルアーはシンキングなのであった。T_T アンチ・メガバスの私が初めて買ったX-80SW。昨日買ったばかりの新品が早々とおなくなりになった。こちらのラインは1.0号のファイアーライン。昨日、念のためにと両方のリーダーを結び直したのに・・・。

連続トラブルで意気消沈、戦意喪失。良すぎる天気がさらにやる気をなくさせる。「あー、今日はもう釣りはいいや。」とおにぎりを出して景色を見ながら食べ始める。今日は風もないしベタ凪に近い。奥浜名湖は広いので、多少流されてもへっちゃら。ポカポカの陽射しを浴びてしばしボーっとする。これだけでも気持ちが良い。 フネを出すだけでも満足してしまう。しかし、これではいけない。こらー、釣りをせんか、釣りを!

と、自らに鞭を打って後半がんばってみるが、ひしめき合うようにいるエサ釣り船は盛況のようだが、ルアー船はほとんど見あたらず、だからというわけでもないんだが、釣れない。

午後2時過ぎになって表の方に戻る。帰港の予定は3時なので、村櫛の方を偵察に行く。大瀬の周辺は航路が複雑に交わっていて、はっきり分かる良さそうな潮目が至る所に出来ている。う〜ん、やっぱりシーバスやるんならこのエリアを攻めないとダメだろうな、という気がする。しかしここを攻略するには、航路の地形と潮の流れを知り、風との関係を知り、さらにそれに対応できる操船技術が必要だ。ここを流して釣るのは相当な経験が要りそうだ。こういうときにエレキが有ればなぁと思う。が、まずはアンカリングでもいいから投げてみることだなと思い直す。

といっても、もう今シーズンはそろそろ終わり。来シーズンの課題だな。