月のカレンダー

私の部屋の壁に、毎日の月の満ち欠けが載っている年間カレンダーがある。浜松出身の若手デザイナが作った、ステキなデザインのポスターカレンダーだ。これを見れば大まかな潮回りが瞬時に分かるというわけだ。カッコいい上に便利じゃないか。

とここで、カレンダーを眺めながら、ふと気になった。月の満ち欠けの周期は大体1ヶ月なのだが、いわゆる暦の月の日数とはビミョーに異なるので、満ち欠けの周期はだんだんとずれていくことになる。なんかあまり気持ち良くない。

ここで思い出した。明治になって暦を西洋に合わせるまでは、日本では月の運行をもとにした太陰暦を使っていたはずだ。それによれば、新月の日を一日(ついたち)と定めているので、(月の公転周期が約29.5日なので)一月(ひとつき)は必ず29日か30日のどちらかになり、15日の夜(十五夜)は必ず満月となる。

ところがこれでは12ヶ月で約354日となり、11日ほど足りない。これを補正するために、何年かに一度「閏月(うるうづき)」なるものを挿入する。つまりその年は13ヶ月あることになる。

さらに、一年の四季を正確に把握するためには、太陽の運行を基準にしなければならない。冬至を基準に一年を24分割したものを「二十四節気」といい、暦に入れた。この月の運行(太陰暦)と太陽の運行(太陽暦)を合わせたものを、「太陰太陽暦」というらしい。また天保の時代に作られたことで「天保暦」ともいうらしい。

と、ここまでが旧暦についてのあらましだが、実は以前より私が気になっていたのは、この旧暦の方がより自然を感じるのに都合がよいと言われていることだった。本当だろうか?何となく分かるような気もするが、それを実感したことはない。「春分、夏至、秋分、冬至」などで四季の変わり目を感じることはもちろんあるが、少なくとも太陰暦による恩恵を実感したことがない。おそらくの予想としては、今日が何日であるかで潮回りが自明になることであろう。この恩恵を是非実感してみたい。

ということで、旧暦カレンダーを作ってみた。このブログのサイドバーに、今日の旧暦を載せてみた。さらに、暦の中での今日の位置を知るために、年間カレンダーも用意した。トップのメニューから「カレンダー」で見られる。ちなみに今日(1月27日)は旧暦ではまだ去年(平成19年)なので分からないが、今日の日付がグレーのバックで表示されるようになる。興味のある方は、このカレンダーページをブックマークしてご利用いただきたい。(ブックマークするときは、URLのお尻に付いた「#」以下を削除のこと。)

さて、はたして旧暦の恩恵は実感できるだろうか?

バースデイケーキ

みなさま、新年あけましておめでとうございます。m(_._)m

私は本日満50才となり、五十路元年を迎えることとなった。それを祝して娘が誕生日ケーキを作ってくれた。チョコチップで「ひで」と書かれているのがお分かりだろうか・・・。「お」が入らなかったらしい。

しかし、そんな小さな事はどうでもよろしい。素直に嬉しい。ありがとう。その温かい気持ちと努力は、「 お小遣いアップ」とか「お洋服」とか「wiiソフト」とか、そういったものとなって必ずや報われるであろう。実現するかどうかは神のみぞ知るだが、期待はしてよいぞ。

我が家に幸あれ。

年末ドッグ

♪お正月♪が来る時期になってしまった。

いやいや、前回はまだ11月半ばというのにクリスマス気分に浸っていたら、いつの間にか本当のクリスマスも過ぎちゃって今年もあと2日。 早すぎますって。^^;

年をとったせいなのか、相変わらずいろんな事に手を出す日々を送っているからなのか、とにかく1年が早い。 このペースで行くと、還暦(あと10年)なんてあっという間という気がする。こ、これでいいのか?;_;

昔の人は現代人より短命で、寿命がせいぜい50年だったなどと聞く。昔ならオレはもうそろそろ死ぬころか?

しかし、彼らの1年はさぞや長かったろうなぁと思う。そういう意味では、昔の人の方が「人生が長かった」と言えるかもしれない。

もちろん長けりゃいいってもんでもない。やることが無くて暇をもてあましているだけの50年は、「長い苦痛」だけなのかもしれない。そうじゃないかもしれない。

結局よく分からないのだが、思うに、どの時代がいいとかじゃなくて、いつの時代でもいい人生を送るやつと、そうでもないやつがいるってことじゃないだろか。要は「いい人生を送ったもの勝ち」である。おお、なんか悟ったような気がする。

と、いいトシこいて年の瀬にこんなアホなこと考えてるオレは、暇をもてあましてる側かもしれない。来年の年末にはもうちょっとマシなことを考えよう。

みなさん、良いお年を。

(筆者注)写真は本文とはなんらの関係もありません。

冬の蛍ツリー

昨日、今年も浜松駅前遠鉄百貨店とフォルテビルの間に「冬の蛍フェスタ」の灯りがともった。フェスタのメインとなるツリーはバックの夜空に映え、とてもきれいだ。道行く人はみなケータイやデジカメで写真を撮っている。これで街は一気にクリスマス気分突入だ。

私はというと、これまた去年に引き続き、高校の同級生達と「飲み屋〜カラオケ」コース。串揚げの店からカラオケボックスへ、さらにカラオケスナックへと、飲むわ歌うわの計7時間。今回のカラオケお題は「阿久悠」。歌った阿久悠の歌、34曲。みなさん、ご立派。^^;

—- 追記(2007.11.30)
歌った順の全曲リストです。全37曲でした。よくもまあ・・・

京都から博多まで 1972年 藤圭子
また逢う日まで 1971年 尾崎紀世彦
さよならをもう一度 1971年 尾崎紀世彦
世迷言 1978年 日吉ミミ
みずいろの手紙 1973年 あべ静江
時の過ぎゆくままに 1975年 沢田研二
北の宿から 1975年 都はるみ
目覚めた時には晴れていた 1976年 伝書鳩
たそがれマイラブ 1978年 大橋純子
10 カサブランカ・ダンティー 1979年 沢田研二
11 舟歌 1979年 八代亜紀
12 時代おくれ 1986年 河島英五
13 恋唄 1972年 内山田洋とクール・ファイブ
14 勝手にしやがれ 1977年 沢田研二
15 五番街のマリーへ 1973年 ペドロ&カプリシャス
16 津軽海峡・冬景色 1976年 石川さゆり
17 居酒屋 1982年 木の実ナナ、五木ひろし
18 あの鐘を鳴らすのはあなた 1972年 和田アキ子
19 ロマンス 1975年 岩崎宏美
20 青春時代 1976年 森田公一とトップギャラン
21 絹の靴下 1973年 夏木マリ
22 宇宙船艦ヤマト 1974年 ささきいさお、ロイヤル・ナッツ
23 白いサンゴ礁 1969年 ズーニーヴー
24 ヤマトより愛をこめて 1978年 沢田研二
25 白い蝶のサンバ 1970年 森山加代子
26 学園天国 1989年 小泉今日子
27 街の灯り 1973年 堺正章
28 ジョニーへの伝言 1973年 ペドロ&カプリシャス
29 渚のシンドバッド 1977年 ピンク・レディー
30 気絶するほど悩ましい 1977年 Char
31 もしもピアノが弾けたなら 1981年 西田敏行
32 雨の慕情 1980年 八代亜紀
33 UFO 1977年 ピンク・レディー
34 笑って許して 1970年 和田アキ子
35 思秋期 1977年 岩崎宏美
36 ダーリング 1978年 沢田研二
37 コーヒーショップで 1973年 あべ静江

ガーデンパークタワー展望室

この間の日曜日、あまりにも天気が良かったので、娘とカミさんとワンコを連れて「浜名湖ガーデンパーク」に行ってきた。浜名湖ガーデンパークは、2004年4月8日〜10月11日の187日間ここで開催された「浜名湖花博」の跡地だ。会期後にパビリオンやゲートなどの建造物は撤去され、現在は広大な花の公園として市民に無料開放されている。

実を言うと、私はこの花博開催中にはここに来ていない。会期中は自家用車乗り入れ禁止など交通規制しながらもずいぶんと人で混雑したようだが、今は適度な人出でとても快適だ。公園は広大だし、花や芝生もちゃんと手入れされているからキレイだし、野外ホールでは市民ブラスバンドが練習していたりと、なかなかのナイススポットである。

花博で一番の目玉だったのは、印象派の画家モネが晩年を過ごしたジヴェルニーの家と庭を再現した「モネの庭」なんであるが、私は前回来たときに見ているのでパス。このエリアはペット入場禁止なので、私はワンコと外で待っていた。

それより今回初めての「きらめきタワー」からの眺めが素晴らしかった。ここもペット禁止なので、まずは私と娘が上り、カミさんとワンコは下で待機。上の写真はタワーから南方向の眺望で、村櫛半島の南側一帯がすべて見渡せる。写真左奥に見える浜名大橋の向こうは遠州灘、太平洋だ。下の写真がそのタワー。ちなみにこのタワーのみ有料で、大人300円、小人100円。

ガーデンパークタワー

タワーの立っている場所はここ

タワーから東側を見てみると、眼下に広がるのは公園の一部、世界の庭を紹介した「国際庭園」。真ん中に見える茶色のはタイの建物で、その右隣が中国。浜名湖に架かる橋は浜名湖大橋で、向こう岸のずっと遠く、左奥に小さく見えるビルは、浜松駅前のアクトタワーである。

タワーよりガーデンパークを見下ろす

自宅から30分足らず。天気の良い日はワンコを連れてお散歩が気持ちいいね。これからもちょくちょく利用することにしよう。

面白いものがあった。回っている女性がどちら回りに見えるかで、自分は右脳派か左脳派かがわかるというもの。時計回りに見えるなら「右脳派」、反時計回りに見えるなら「左脳派」ということらしい。

Right Brain vs Left Brain

右脳と左脳の機能的な違いは以下とのこと。

■左脳の機能

  • uses logic(論理的に考える)
  • detail oriented(詳細を見ることから始める)
  • facts rule(事実に基づく)
  • words and language(言葉と言語)
  • present and past(現在と過去)
  • math and science(数学と科学)
  • can comprehend(理解できる)
  • knowing(知る)
  • acknowledges(事実を認める)
  • order/pattern perception(命令/パターン認知)
  • knows object name(モノの名前を知る)
  • reality based(現実主義)
  • forms strategies(戦略を形成する)
  • practical(実践的)
  • safe(安全第一)

■右脳の機能

  • uses feeling(感覚的に考える)
  • “big picture” oriented(まずは大きな絵を描いてみる)
  • imagination rules(発想に基づく)
  • symbols and images(象徴と印象)
  • present and future(現在と未来)
  • philosophy & religion(哲学と信仰)
  • can “get it” (i.e. meaning)(意味が分かる)
  • believes(信じる)
  • appreciates(真価を認める)
  • spatial perception(空間的認知)
  • knows object function(モノの機能を知る)
  • fantasy based(空想主義)
  • presents possibilities(可能性を提示する)
  • impetuous(衝動的)
  • risk taking(リスクを負う)

早速やってみた。反時計回りに見えた。え?これって反対回りにも見えるの? うそ〜?と思いながらも、時計回りに見えるように思い込みながらじぃ〜っと足下だけに集中していたら、なんと反対回り(時計回り)に回って見えた。おお〜、上げている足も左足から右足になっている。なんで?@@;

と不思議に思ったんだが、よく見ればこれは完全なシルエット(影)なので、人体の前後ろの判別ができない。つまり、今見えている姿が、こちら向きなのか向こう向きなのかは思い込みによって決まるわけだ。一度そう思い込んでしまうと、なかなかそれを変えることは難しい。

ちなみにカミさんにもやらせてみた。ところがどうだ、見る度に変わるというではないか。え〜?マジで?私があれほど苦労して切り替えたのに、見る度に変わるとな?

ここでハタと気が付いた。 右脳か左脳かという前に、オトコ脳かオンナ脳かという違いがある。オンナ脳は基本的にものごとを並列処理する。つまり常に脳ミソのあちこちを使って、いろいろな事柄を同時に処理しているのだ。一方オトコ脳は、処理できるのは一度に一つ。その代わりその一つのことに脳ミソの最適な部分を集中的に投入して問題解決にあたる。だからオトコは一旦そこにハマってしまうと、なかなかそこから抜けられないのだ。

ま、それはそれとして。さて、あなたはどっち?

米国時間9月18日、NASAは「Google Moon」にアポロ計画の情報を追加したそうだ。なぜ今アポロなのか?

先日、日本の月探査衛星「かぐや」の打ち上げが無事成功したが、日本をはじめ各国が月探査を始めていることに対する米国の牽制ではないだろうか。つまり、月は既に米国が人間を着陸させて探査を済ませているのであり、衛星からの探査や無人機器での月面探査は人間による月面探査に比べたら精度は落ち、米国の優位は変わることはない、と。そしてさらなる牽制として、もしそれで新しいことが分かっても、米国の探査による調査結果と矛盾するようなものは、その真偽は疑わしく認められない、と。

ちなみに、私はこのアポロ計画を信じていない。アポロ計画疑惑に関しては多くの所で議論されているのは知っているが、どの議論も説得力を欠くつまらないものばかりだ。その理由は、誰にとっても未知でありかつ検証不可能な場所での科学的根拠をもとに、お互いが議論しているからだ。いくら否定派が「あれは不自然だ」と言っても、肯定派は「XXXという理屈で説明がつく」と、何らかの理屈を持ち出しては論理的正当化に躍起になる。そして「科学的に説明できるものは真実である。ウソだと言うならウソであることを科学的に証明しろ」と言う。正に科学オタクの議論である。

ここに一つ、真理がある。

真実には一点の曇りもない。少しでも怪しいものは、必ず怪しい。

いくら月面が未知の世界だと言っても、その映像を見ていて「不自然」に見えるのは、知らない世界の出来事であるからではないと思う。もしその映像が真実であるならば、初めての世界であっても自然に受け入れられるものであると思う。

映像から見られる不自然さはいくつもあるが、私がどうにもおかしいと思う点が3点ある。

  1. 公開情報によれば、月面で作業する飛行士の装備重量は地球上で80kgを越える。よって飛行士全体の重量は、自分の体重の約2倍だ。月面での重力は地球上の約6分の1だから、体重計に乗ったとすれば約27kgを指すだろう。しかし、質量は地球上と変わらない160kgのままだ。慣性により、動き出すのも止まるのも普段以上の力を要するはずだ。重力も弱く、パウダーのような砂地の上では、よりその力を地面に伝えにくい。ちょっと蹴っただけでは足が滑ってしまうことだろう。ところが映像では、つま先でチョンと蹴り出すとまるで空を飛ぶかのように加速し、止まるときも空中で減速してつま先で降りるように止まっている。こんなことはいくら月面でもあり得ない。どう見てもワイヤーで吊っている動きにしか見えない。
  2. 満月の夜に地面に自分の影を映してみたことがあるだろうか。まるでスポットライトで照らされたように、かなりはっきりと映る。つまり、太陽光が月面に反射してきた光は、ほぼ平行光ということだ。ということは、私の影を作っている部分の光は、月面上でもほぼ同じ面積で反射した光であろう。NASAが公開している写真を見て欲しい。この弱々しい光が、月面を反射して地球上に私の影を作る光とはどうしても思えないのである。
  3. 最後は映像そのものの不自然さではなく、NASAが公開している情報についての不自然さだ。未知の世界に行ったとしたら、みんなが見たいと思うのは何だろう?そう、未知の世界の姿だ。ところが公開情報からは月面ならではの興味深い映像を見つけることはできなかった。あるのは地球上でも見られる飛行士や機材のまるで広報のような映像ばかりだ。月面の詳細な映像がないのは、NASAが生命体に関する極秘情報を隠しているなどという苦し紛れの話しも聞く。ばかばかしい。不自然極まりない。

だいたい何よりまずもって、1969年当時の技術において、人類を月面に降り立たせ、再び地球に戻すなどということが、可能であったとは到底思えないのだ。 しかもたった3年の間に数ヶ月毎に計7度も(うち1度は事故で帰還)である。費用のこともさることながら、実際にそんな短期間に作っては飛ばし作っては飛ばし、ことごとく月面着陸と帰還を成功させたというのも信じ難いが、そもそも膨大な費用をかけて同じような探査活動を短期間に何度もする必要性が感じられない。一方ではベトナム戦争という大変なものを抱えていたときだ。普通に考えたらあり得ないことだ。

が、しかしだ。そんなときだからこそ、米国にとって「有人月面探査が必要」だったと考えると合点がいく。実際、アポロ11号によって世界の目はベトナムから逸らされ、当時ピークに達していた米国内の反戦運動も下火になった。次から次へと月面着陸を「成功」させ、世界は宇宙への夢に湧いた。その費用は膨大だが、夢のためには米国民も膨大な予算を承認しただろう。

そして、そのカネはどこへ行ったか。米国はベトナム戦争で劣勢に回っていたが、代理戦争と言えども米国が戦争に負けることは許されなかった。まだまだ続けなければならなかったが、膨大な戦費の調達に困窮していた。カネは無いところから沸き上がってくるものではない。アポロ計画の予算は戦費に使われたと考えるのが自然ではないか。実際、3年間に計7回の月面着陸ミッションを行った計画は、73年のパリ協定を境に以降の計画を中止していることからも、戦争との関連が疑われる。

結局アポロ計画は、ベトナム戦争継続のための反戦運動の沈静化と戦費調達、さらに対ソ連での米国の劣勢を相殺する国威発揚、という一石三鳥を得るために利用された演出と見るのが妥当ではないだろうか。

でんでん虫の足跡

でんでん虫のてんてん足。なにゆえおぬしの足跡は点線???

こんなものを見つけてしまった。そして「即ポチ」。^^;

数日中に届くと思うが、付けるものはいっぱいあるぞ。

自転車、バイク、ボート・・・やっぱり一番見たいのは海の中だなぁ。

楽しみ楽しみ。^_^

ニイニイゼミ

今朝、うちの庭でカミさんがニイニイゼミを見つけた。残念ながら死骸であったが、もうニイニイゼミはいなくなってしまったと思っていたので、驚きと共にとても嬉しくなった。

私が子供の頃には、夏の初めにはまずニイニイゼミが鳴き始め、それに続いてアブラゼミがくるといった具合に、夏の訪れを告げるセミの鳴き声と言えばニイニイゼミだった。その当時はクマゼミはとても少なく、アブラゼミに混じって何匹かが高いところで鳴いているだけで、捕まえればヒーローだった。

ところが今は、夏の訪れはいきなり「シャア!シャア!シャア!シャア!」で始まる。クマゼミの大合唱の後、アブラゼミがわらわらと現れ、庭の木はセミでベッタリだ。セミの種類によって鳴く時間帯が決まっているようで、朝はクマゼミ、夕方はアブラゼミといった感じか。

そして、お約束のツクツクボウシの鳴き声が子供たちに夏休みの宿題を思い出させて夏が終わっていくのだ。もう20数年、そういう夏だった(はずだ)。ニイニイゼミの声は聞いた記憶がなかった。(いや、思い返すと一度くらいはあったのかもしれない。)ニイニイゼミはもういなくなってしまったのだと思っていた。

そこで今日の発見である。ちゃんと生き長らえていたんだぁ。ちょっと感動。ただ、セミは数年間土の中で過ごして出てくるから、数年前にはオスとメスがちゃんといたことになるが、今日見つけたメスはちゃんと子孫を残して死んでいったのだろうか。数年後には、また出てきてくれるのだろうか。心配でもあり、楽しみでもあり。