森林公園

今日は天気が良かったけど風が強かったのでボートの出撃はあきらめ、妻娘とワンコを連れて市内の森林公園へ行ってきた。 ヤマツツジをはじめいろんな花も咲いていたが、何よりきれいだったのは陽に透けて薄緑色に輝く新緑の木々。中でも楓は葉の形と枝振りで特に素晴らしい。そんな気持ちいい木々の中を1時間余り歩いてきた。

途中池があり、中には丸々と太った巨大コイやらウグイやらその他の小魚がワンサカいて、人が近づくとエサがもらえるのかと思ってみんな近寄ってくる。しばらく見ていたら無性に釣りたくなってきたので、気持ちが高ぶらないうちにその場から去る。

その後、その奥にあるスポーツ広場へ行って娘とフリスビー。懐かしいねぇ。大学生の頃、いろんな技を覚えたっけ。娘は最初なかなか出来なかったけど、コツを教えたらすぐに上手になった。上手になれば何でも楽しいものだ。しばらくフリスビーで遊んでいたらワンコがそろそろ飽きてきたので切り上げて帰宅。

海もいいけど、山もいいよねー。^_^

初夏の麦

嵐のような低気圧が去って、今日は一転、夏のような陽射し。明日が二十四節気の「穀雨」ということで、この雨も穀物にとっては恵みの雨なんだな。

そう言えば、雷は空気中の酸素からオゾンを作り出し、それが植物の生育にプラスになり、雷のよく鳴った年は豊作になるという話を聞いたことがある。自然というのはうまく出来ているんだな。

さて、明日も曇りがちながら、風のない良い日になりそう。 しかも大潮。新しいルアーも昨日買ってきたし、明日もがんばって釣るぞー。^_^

さくら

桜も開花し、いよいよ春も真っ盛りですな。^_^

HHの船底塗装とエンジンメンテ、水温計取り付けは発注済み。今年は忙しくて行けず、作業はすべてプロにお任せ。すべての作業は来週末には完了の予定。

これで今シーズンも気持ちよくスタートできるわけだが、あと一つ、懸案であったスターンレールの寸法決めをしなきゃいけない。パイプを一つのパーツに溶接しないで、二つのパーツに分割して容易に組み立てられる方式を考えたので、そちらで進めている。

ふふふ、お楽しみに。^_^v

土筆

おやおや、気が付いたら土筆が出ていた。先日来の寒波が去り、急に暖かくなったと思ったら一気に春の気分。いいねぇ、やっぱり春は一年で一番好きな季節。^_^

と同時に別れの季節でもある。息子の進学が決まり、4月からはまた一人いなくなってしまう。しかし、寂しくはなるが、希望に満ちた息子の門出を祝ってやらねばなるまい。自分もそうやって出してもらってきたわけだしね。おめでとう。逞しく成長しろよ。

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今日は「啓蟄(けいちつ)」。「大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ」だそうだ。

そうか、庭の虫たちもそろそろ出てくる頃かと、朝の散歩の時に庭で虫を探してみた。

が、全然虫の姿がない。もちろん石をどけたりすればいるのだろうが、それじゃいかん。自分で這いだして来なきゃ「啓蟄」とは言えない。この寒さではまだ穴の中って事かな。

というわけで、這いだしてきた虫の姿が撮れなかったので、代わりに庭に咲いていた花の写真でお茶を濁すことにする。

両色灯

今朝の新聞はイージス艦「あたご」事故関連の記事でいっぱいだった。その中で「え?」と気が付いたことがある。他のボートオーナーの方も気が付かれたと思う。そう、石破防衛相の「あたごの右方向から来る漁船の”緑の灯火”を確認した」という報告だ。

夜間航行する船舶には決められた灯火を点すことが義務付けられている。そのうち「舷灯」というのがあり、船舶の右舷(船体の右側)には緑色の灯火、左舷(船体の左側)には赤色の灯火を点す。つまり、上記の報告によれば、あたごの見張りは漁船の右舷を見たことになる。

しかし、右方向から来て左に向かう船の右舷を見ることは不可能だ。この矛盾に対し、今後納得の行く説明があるのかどうかに注目したい。

それからもっと気になることがあった。ネットを検索したら、毎日新聞の記事に以下のような記述があった。

2月20日10時7分配信 毎日新聞より抜粋>

清徳丸は捜索に当たった7隻とほぼ同時刻の19日午前1時ごろ、川津港を出港、南南西に向かった。清徳丸は出港時、赤、緑など前後に四つの明かりを点灯させていた。

金平丸は20〜30分遅れて出港し、南西から南南西に航路を取った。途中で清徳丸を追い抜いたらしく、午前4時ごろ、あたごと遭遇。金平丸のほぼ正面か ら減速せず向かってきたため、市原船長は「このままでは衝突する」と感じ、右へかじを切った。あたごとの距離は約1.5キロで、すれ違った直後にいくつか の明かりが点灯した。市原船長は「自分の船に気付いた」と感じたという。

金平丸はそのまま漁場の三宅島へ向かったが、午前6時過ぎに漁協の無線で「清徳丸が事故に遭ったようだ」と連絡を受け、現場に急行。午前7時40分ごろ、船体が二つに分断された状態で、海面に浮かぶ清徳丸を発見した。漁具や布団なども海上に散乱していた。

清徳丸の前に「あたご」に遭遇した金平丸が、衝突の危険を感じる目に遭っていたのだ。そして「すれ違った直後にいくつかの明かりが点灯した」ことで「自分の船に気付いた」と感じている。もちろん「あたご」の乗員も気付いたことだろう。

それなのに、直後の清徳丸をうっかり見落とすことなどあり得るのだろうか?もっと言えば、少なくとも衝突の1分前にはどちらも回避行動をしたにも関わらず、高々12mの漁船を舳先で真っ二つにへし折るような衝突をすることが、果たしてあり得るのだろうか?

例によって、この手の事件は詳細が第三者によって調査されることはなく、原因は人為的ミスで今後も安全に務めるというコメントで終わるだけであろう。しかし、これまでの歴史をふり返ってみても、国家の重大な問題が討議されている最中に、何故かセンセーショナルな事件が起きていることが 指摘されているのだ。

今朝の新聞も事故の記事ばかりで、今まで紙面を賑わしていた国家の重要な問題が影を潜めていた。大々的に報道される事件の裏で何が起きているかも、しっかり見ておかなければと思う。

<追記>
新しい情報が出てきた。毎日新聞 2008年2月20日 15時00分

これによれば、緑の灯火が右に見えたのは、 「あたご」の右前方にほぼ正面を向いて清徳丸がいたのではないか、とのこと。なるほど。しかしこれなら、清徳丸が右旋回を始めた時点で赤い左舷灯が見えるはずであるが、これまでに赤の灯火については言及がない。左舷灯が切れていた可能性も否定できないが、他のマスト灯などはどうだったのだろうか。

そして、

海自などの調べでは、あたご乗組員は衝突の2分前、右に清徳丸右舷の緑の灯火を視認。1分後、灯火がスピードを上げ動いたため船と確認、さらに1分後、全力の後進をかけたが衝突した。

とのことだ。ということは、

  • 衝突2分前:緑の灯火を確認
  • 衝突1分前:灯火が動き、船であることを確認
  • 衝突直前:全力後進

であり、衝突直前まで減速もせず直進していたことになる。先に遭遇した金平丸のときも減速せず直進したことから、避けるのは漁船たちであって自分たちはその必要はない、という認識なのだろうか。

いずれにしても「あたご」の見張りは、発見から衝突までの一部始終を見ているはず。曖昧な証言は許されない。

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今日は二十四節気の「雨水(うすい)」。立春と春分の中間で、寒さも和らぎ雪が雨に変わってくる頃だそうだ。日曜には浜松でも年に数回しか降らない雪が降ったが、これからはもう降らないということだろうか・・・

それにしても今回の寒波はなかなか厳しかった。(と、雪も降らぬ太平洋側に住む者が言うことじゃないが。^^;)ある情報によれば、 米国海軍が敵国経済を破壊するために気象を武器に使っているとの極秘文書が開示されたとか。この怪しげな施設はそのためのものではないかとの見方もある。カンベンして欲しいものだ。

HAARP

<追記>
訂正です。立春と春分の間には雨水と啓蟄があり、いわゆる”中間”ではありませんでした。

旧暦新年の空

今日は旧暦(太陰暦)での元日。「旧暦カレンダー」も1月1日を指しています。改めまして、新年あけましておめでとうございます。^_^

先日の「節分」は冬と春の分け目にあたり、翌日の「立春」が春の始まり、つまり新しい年の始まりと言うことです。 ただ、これらは太陽の運行を基準に決められていますから、月の運行によって決められた旧暦元日と「立春」は必ずしも一致しません。

とは言っても、大体この「立春」前後に旧暦元日が来ますので 、新年の始まりとしてはこちらの方が気持ちが良いですね。実際、中国や台湾では旧暦に従い、今が正月の休みに入っています。

さて、これから一年間、この旧暦カレンダーとともに過ごしてみて、旧暦の良さを実感できるかどうか試してみたいと思います。

エコノミック・ヒットマン

何ともベタで可笑しげな名前だが、その実体は紛れもなくヒットマン(=殺し屋)だ。いや、殺さずに隷属させて搾取をし続けるその手口は、単なる殺し屋より一層卑劣だと言うべきだろう。

2004年にアメリカで出版されて大反響を呼び、昨年12月に日本語訳された「エコノミック・ヒットマン」は、原題を「Confessions of an Economic Hit Man(エコノミック・ヒットマンの告白)」といい、実際にエコノミック・ヒットマン(以下EHM)として活動していたジョン・パーキンスという人物の、自らの人生を語ることでアメリカの暗黒部を告発した本である。

EHMとは何かをその序文から引用すると、

エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐へと注ぎ込む。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。彼らは帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化が進む現代では、その存在は質量ともに驚くべき次元に到達している。
かつて私は、そうしたEHMのひとりだった。

さらに、

・・・私の仕事には主要な目的が二つある・・・。第一に、巨額の国際融資の必要性を裏付け、大規模な土木工事や建設工事のプロジェクトを通じてメイン社ならびに他のアメリカ企業に資金を環流させること。第二に、融資先の国々を破綻させて、永遠に債務者のいいなりにならざるをえない状況に追い込み、軍事基地の設置や国連での投票や、石油をはじめとする天然資源の獲得などにおいて、有利な取引をとりつけることだ。

簡単に言ってしまえば、かつての帝国は武力などによって露骨に植民地を支配していたのだが、多くの植民地が独立を果たし、世界の目も厳しくなってもはや単純な武力支配では収奪が難しくなった今日では、暴力や収奪の事実が表面化しないような方法を編み出したということである。

とは言っても、EHMたちが失敗した場合には、つまりターゲット国の権力者を抱き込めなかった場合、その権力者を暗殺する「ジャッカル」たちが放たれ、それにも失敗した場合には、従来の方法、つまり武力で破壊して支配権を握るという手順は常に適用されている。

本書では著者がEHMとして活動した、インドネシア、パナマ、サウジアラビア、イラン、コロンビア、エクアドル、イラクについて、時を追って具体的に語っている。もちろん、事情で名前を明かせないごく僅かの人物を除いてすべて実名だ。まだ記憶にも新しい、イラク戦争でお馴染みになった面々もぞろぞろと登場する。

驚くべきは、その狡猾な手段もさることながら、それがある一部の集団だけで行われているものではなく、米国という国家全体が、この目的を遂行するためのシステムとして機能しているという事実である。金融、メディア、行政、立法、司法、軍事などすべての権力がグルなんである。権力を支持する米国民も、メディアによって騙されコントロールされた状態にある。なんと言うことだろう・・・

著者は自分の仕事に何度も悩み、事実を公表すべきではないかと何度も筆をとったが、 その度に説得されたり脅されたりして断念してきた。しかし9.11を見て、最終的に出版の決断をしたという。その思いは世の中に通じるだろうか。

「私は神になるのだ」

細菌のゲノム合成に成功:2008年中に合成生命も?

この記事の写真の目は、そう語っているように思えてならない。
神はすべての生命をお創りになった。そして私もいま、新しい生命を創った。私は神に近づいたのだと。

科学者の興味、欲望は尽きない。それが将来どんなことを引き起こす可能性があるのかが分かっていても、例えそれが恐ろしく悲惨な事柄であっても、それとは別に「人類の利益になる」という使い道がありさえすれば、それを口実として突き進んでいく。自分の欲望を満たすために。

そして、別の人間が自分の欲望を満たすために、その技術を使うことになる。それが使い道によって巨大な力を生み、巨万の富を生むものならなおさらである。原爆もその一つだ。

私はキリスト教などでいう、いわゆる万物の創造主としての「神(唯一神)」を信仰していないが、彼らの立場に立って神の存在を仮定したとしよう。彼らと神との間には、決定的な違いがある。神は自らの欲望のために万物を創ったわけではなかろう。一方人間の作るものは、すべて自らの何らかの欲望を満たすための結果だ。

そして世界は一部の人間の欲望に飲み込まれていく。恐ろしいことだ。