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今朝の中日新聞の「視座」というコラムに、私が敬愛する哲学者、内山節(たかし)氏が「システム依存からの脱却」というタイトルで、これからの社会がどのような方向に進むべきかを書いていた。私も全くその通りだと思うし、自らもその方向を目指してこれからの人生を生きていこうと思っている。
2011.3.27(日)中日新聞「視座」より
システム依存からの脱却
内山 節 (立教大学大学院教授 哲学者)
東日本大震災の情報を、私は滞在先のフランスで聞くことになった。ヨーロッパ各国の新聞は紙面の半分を日本の報道にさき、世界はこの大災害への驚きと恐怖を共有しているかのようだった。津波とその被害が中心だったニュースは、次第に福島の原子力発電所の事故へと重心を移し、そのことがヨーロッパ各国の反原発運動を、再び高めることになった。
大震災から一週間ほどがたつと、ふたつのニュースが記事のなかにふくまれるようになる。ひとつは反原発運動の高まりを警戒する政府からの意思表明であり、もうひとつは、これほどの大災害を受けながら冷静に対応していく「驚くべき日本人」を報じるもので、これは日本に駐在する特派員から伝えられたものであった。そしてそのことが、現代社会が問わなければならない課題を、かすかに垣間見させていた。
今日の私たちは、さまざまなシステムに依存して暮らしている。電気をはじめとするエネルギーの供給システムもそのひとつだし、携帯電話やインターネットなどの情報通信システムにも私たちは依存している。医療システムや年金・社会保障システム。多くの人々が企業システムのなかで働き、その企業は市場システムに依存する。子どもたちは教育システムのなかで暮らしている。
ところがそのシステムは、何らかの想定の範囲内で維持可能なように、設計されているのである。ある程度の経済成長がつづくという想定の上に、市場や年金・社会保障システムなどが設計されているように、あるいはエネルギーや通信回線が維持されるという想定にもとづいて、今日の社会システムが設計されているように。
原子力発電もそのひとつであった。これ以上の地震は発生しないという想定にたって、システムは設計されていた。
ところが今回の大災害もふくめて、この数年に世界でおこっていることは、システムの前提になっている想定が、人間の思い込みにすぎなかったという事実の暴露であった。そうして想定と現実が合わなくなったとき、市場システムも、年金・社会保障システムも、混乱をみせはじめた。
この事態に対して現在の体制を守ろうとする人々は、システムの維持や復旧に全力をあげようとする。フランスなどの国々が、反原発意識の高まりに警戒心を示すのも、現在のシステムの維持に目的があるからである。
ところが今回の災害時にも示されているように、「想定外」の事態がおこり、システムが崩壊したとき助けになるものは、人々の冷静な行動であり、支え合おうとする人々の意志と働きなのである。
福島の原発でも、これ以上の災害を食い止めようとしているのは、電力システムではなく、自己犠牲的に自分の労働を提供する人々がもたらしている。被害者を支えているのも、他者のために頑張りつづける人々の努力である。
想定にもとづいてつくられたシステムは、想定外の事態がおきた瞬間に崩壊する。それに対して、支え合い結び合う人間たちの働きは、どんな事態でも力を発揮する。
とすると未来の社会は、どんな方向にむかうべきなのか。それはシステムに依存しすぎた社会からの脱却であろう。私たちに求められているのは、人間の結び合いが基盤になるような社会の創造である。
まったく、その通りですね。ただ、その「システム」の中で自分の事業が成り立っている面があり、そのジレンマがあります。
なんか、やりきれなさ、自分の無力さ、忌み嫌う「システム」によって自分が生かされているもどかしさ、自己嫌悪、様々な思いがよぎります。
>こいちさん
この「システム」はあまりにも周到に作られているので、確かに簡単に抜け出せるようなものではありません。しかし、この「システム」は回避しがたい決定的な問題を内在しているため、近い将来必ず破綻します。
今はこの「システム」から抜け出すことに奮闘するより、いずれ来る破綻の時のために、その後の社会とりわけ自分の住む地域がどうあるべきか、その中で自分はどう生きるかを、今のうちにじっくりと考えて準備しておく方が良いと思います。
私もまだまだその段階です。
ホントにそう思います。
便利で合理的なシステムの上に人間社会があるのではなく、人と人とのつながりの上に社会は成り立つのだと思います。
今度お会いするときに、じっくりお話を聞かせてくださいね。
>みっちゃん
便利で合理的なシステムを一番必要としているのは、私たち庶民ではなく、支配する側であることを知らなければなりません。彼らが便利さとか合理性を説くのは、すべて私たち庶民をシステムに依存させるためのものです。彼らに振り回されないためには、私たち庶民はそろそろ自立することを考えなければなりません。そのとき一番重要になるのが、人と人との繋がり、結び合いなのだと思います。